1970年代に開発された千葉県北東部の旧分譲地の現状について、私はこれまでいくつかのレポートを公表してきました。そこで起きている詐欺まがいの不動産取引の実態を知った読者からは「原野商法のようだ」という感想を耳にします。

原野商法」は、ほとんど価値のない原野や山林を「将来値上がりする」などと偽って購入させる悪徳商法のことです。土地への投機がブームとなった1970~1980年代にかけて被害が多発し、社会問題となりました。それから、すでに半世紀近くが経過しましたが、現在でも問題が尾を引いている実態があります。

近年になって、こうした土地を相続した人などをターゲットに「土地を買い取る」などと勧誘し、巧妙な手口で新たな原野を販売したり、手数料をだまし取ったりする「二次被害」も発生。詐欺容疑での逮捕者も相次いでいます。

そこで今回は、この「原野商法」について、土地が分譲・販売された方法や、社会問題になった経緯などを解説していきたいと思います。

 

土地ブームで不動産広告が盛んに

当時の不動産市場はどんな様子だったのでしょうか。新聞広告からその一端を垣間見ることができます。

1970年代に発行された新聞紙面は、現在とは比較にならないほど不動産の物件広告が豊富でした。戦後の高度成長がもたらした土地ブームによる旺盛な需要がうかがえます。これに応える形で、都市部からリゾートに至るまで、さまざまな物件広告が掲載されていたのでしょう。

もっとも多いのは、都心部及びその周辺地域の分譲マンションと、大手デベロッパーによる大規模な郊外住宅地(ニュータウン)のものです。一方で、1972年頃になると、レジャーブームの高まりを反映してか、全国各地の避暑地や別荘地の広告も目立ち始めます。

当時の日本は、光化学スモッグ水俣病など、急激な経済発展が引き起こした環境汚染や公害が非常に深刻な時代でした。別荘地の広告も、そんな汚染された都会から離れた自然豊かな環境を強くアピールするのが通例だったようです。ところが、そんなリゾート物件の広告を見ていると、その中に奇妙な広告が紛れ込んでいることがあるのです。

1972年12月4日読売新聞に掲載されていた不動産広告。一般の別荘地に紛れて、原野商法の業者の広告が掲載されている(左下・右下)

新聞紙面に紛れ込んだ「原野商法

そのような広告の多くは、北海道や沖縄、東北など、都市部から遠く離れた農村部や山間部の分譲地のものです。一般の分譲別荘地と大きく異なるのは、キャッチコピーです。「大きく成長する土地」「これからの財産づくり」「あなたも地主になりませんか」―。地価の上昇を見込んだ投機目的での購入を前提としていることは明らかです。

価格も上記の新聞広告からもわかる通り、当時の一般的な分譲別荘地と比較すると「660平米19万円から」「330平米28万円より」など、破格の安さで表示されていました。広告主は、全国紙に限って言えばその大半が東京の業者ですが、地方紙にも各地の地元業者によって同様の広告が掲載されていました。このような投機型分譲地の広告の多くは、原野商法の業者が掲載していたとみられます。

「詐欺」と聞くと、近年の振り込め詐欺のように個人宅などでひそかに行われる犯罪を連想する方が多いと思います。しかし、当時の原野商法は、誰でもその名を知る一般の大手新聞に、一般の不動産広告と同じ装いで堂々と掲載されていました。広告掲載主も、反社会的な組織というわけでもなく、都道府県知事免許番号も記載した正規の宅建業者でした。

原野商法の広告は、一般の不動産広告と同じ装いで堂々と新聞広告欄に掲載されていた

これらの広告はいずれも、虚偽と欺瞞に満ちたものだったのです。おそらく正確な情報は業者の連絡先だけであると言っても過言ではないほどです。こんなデタラメな広告が堂々と一般の新聞に掲載されていたのか、と驚かされるものばかりです。その一例として、当時盛んに原野商法の新聞広告を掲載していた、「北日本投資株式会社」(のちに「サンライフ・クラブ」に社名変更。1974年解散)を紹介します。

北日本投資株式会社」は、1972~73年にかけて、主に読売新聞に繰り返し広告を掲載していました。その多くは北海道の物件でした。広告に載った物件名は、観光地として名高いニセコの名を騙った「南北海道ニセコ夢の平」や、大規模な工業地帯の開発エリアにちなんだ「ひがし苫小牧トーシランド」などでした。

「トーシランド」は、投資を想起させる目的で名づけたのでしょうか。広告も、投機性を前面に打ち出したもので、リゾート的な利用を想定したものではないことが見てとれます。

北日本投資株式会社」が掲載していた物件広告の一部。投機性を前面に打ち出している

不当表示広告に行政処分

こうした不動産広告に対し、ついにメスが入りました。1973年10月27日、それまで「北日本投資」が物件広告を掲載していた読売新聞に「ウソつき別荘地」と題された小さな報道記事が掲載されました。北海道、長野、静岡などの別荘地を販売していた東京都内の不動産会社4社が、事実とは著しく異なる虚偽の販売広告を掲載していたとして、公正取引委員会排除命令を下したのです。

原野商法の業者の広告に対し、公正取引委員会排除命令を下したことを報じる新聞記事(1973年10月27日読売新聞)

その4社の中には、「北日本投資」が社名変更した後の「サンライフ・クラブ」の名もありました。同社が販売していた「ニセコ夢の平」の販売広告が問題視されたのです。この時「サンライフ・クラブ」に下された排除命令(昭和48年(排)第33号)の全文の写しがあります。

排除の対象となったのは、当時発行されていた株式新聞の紙面に掲載された広告でした。しかし、問題視された表示は、同社のほとんどの広告に共通するものでした。排除命令の全文は長文のため、公取委が広告のどのような点を不当表示と指摘したかをかいつまんで紹介します。

(1)所在地の詐称 

広告では「ニセコ」を名乗っているが、物件の所在地は虻田郡倶知安町(あぶたぐんくっちゃんちょう)で、ニセコ山麓から約20キロ離れており、通常「ニセコ」と呼ばれる地域ではない。

(2)交通利便性の虚偽表示

広告では「函館本線昆布駅より3キロ・車で5分」「倶知安駅より8キロ車で15分」と記載されているが、実際には昆布駅より約41キロ、倶知安駅より約18キロの位置にある。

(3)販売価格の虚偽表示

広告では「660平米がわずか20万~27万円」と記載されているが、実際にその価格で販売されている区画はない。

(4)総面積の虚偽表示

広告では「総面積第7期6万6000平米(総50区画)」と記載されているが、実際の総面積は4万8419平米しかない。

(5)形質の虚偽表示

広告では、同物件について「平坦」と記載されているが、実際は総面積の7割ほどが起伏の激しい傾斜地である。

(6)設備の虚偽表示

広告では「水・電気引込可」と記載されているが、実際にはこの分譲地の近隣に給水源の施設はなく、送電線も最寄りのものは3キロほど離れていて、実際に引込を行うには多額の費用を要し事実上困難である。

(7)環境の虚偽表示

広告では、同物件の近くに「昆布温泉郷・ニセコ温泉・ニセコスキー場・ニセコゴルフ」などのレジャー施設があるかのように記載しているが、いずれも同物件から25~37キロ離れており、近いとは言えない。

以上のように、これはもはや「誤記」などと言い逃れが出来るようなレベルではありません。今日の常識的な感覚なら、「業務停止処分」などの対象となっても不思議ではないでしょう。どうして単にその行為をやめさせる「排除命令」だけで済まされていたのか不思議になるほどです。このような極めて悪質な広告表記が横行していた苦い経験を経て、現在のように不動産広告の表記・表現に強い規制が加えられるようになったのでしょう。

なぜ原野商法は成り立ったのか

広告主である「サンライフ・クラブ(旧北日本投資)」の法人登記簿(閉鎖)には、この排除命令から2カ月半後の1974年1月10日、株主総会の議決を経て解散した旨の記載があります。このように計画的な倒産と社名変更によって責任逃れをする手法は、当時の悪質な不動産業者に共通するものでした。

原野商法の土地のほとんどは、今日に至るまで価格が上がることはなかったでしょう。その土地を手放す機会もなく所有し続けている購入者が多いと思われます。それにしても、どうして当時の購入者は、このような僻地の、なんの資産価値もない原野を購入してしまったのでしょうか。

売地としてレインズに掲載されていた、かつての原野商法の土地。所在地が特定できていないため、1万円という価格がつけられている

市街地からも遠く離れた原野や山林であれば、買う前に、もう少し理性的な判断を下せたのではないのか、と考えてしまうのが現代の感覚です。しかし、このような商法がまかり通った背景には、一般の市民までも大きく巻き込んだ当時の土地開発ブームの熱気がありました。

原野商法で販売された分譲地は、登記簿上では細かく分筆されています。このため、土地の境界や建物の位置を確定するための公図を見た人は、あたかもそこに造成された分譲地が存在するように錯覚してしまいます。ところが実際には、草木一本刈られていない手つかずの原野や山林を、単に公図上のみで細かく分筆しているだけであり、測量も一切行われていません。

千葉県北東部にある原野商法の土地の現況。分譲地は境界もなく、雑木林や竹林のまま放置されている(著者撮影)

もちろん、物件にアクセスできるまともな道路もありませんので、原野商法の分譲地は、航空写真などで大まかな位置は捕捉できても、正確な所在地や境界を確定できないものが大半です。

それでも購入者が絶えなかったのは、彼らのほとんどが、現地を1度も見ることなく、販売図面を見ただけで購入に踏み切っていたためです。虚偽の広告を出していた業者ですから、分譲地を販売する際も、造成工事が完了しているかのように騙っていた可能性は十分考えられます。

この時代は、一般向けの住宅用地や別荘地でも、自分では使うつもりはなく、あくまで値上がりを見込んでの投機目的で土地を取得する購入者(投資家)が多く存在していました。土地は必ず価格が上昇するもので、土地の所有は財産形成のため堅実な手段である、と社会的に広く認識されていた時代です。

そうした「土地神話」はバブル経済の崩壊とともに崩れ去りましたが、かつては根拠のない夢物語でもなかったのです。現に、高度成長期の日本では、全国津々浦々で住宅用地、工業用地、リゾート施設、道路建設など、さまざまな名目で土地の買収が盛んに続いていました。

当時はよほどの事情が無い限り売れ残ることはなく、どんな分譲地でも瞬く間に完売していました。原野商法の土地も決して例外ではなかったのです。悠長に物件の下見に出向き、購入の決断に思い悩んでいようものなら、他の人に先を越されて購入できなかったのです。

だからこそ、際限のない地価の上昇が続いていたのでしょう。そしてそのことが、購入者に綿密な下調べを怠らせた要因のひとつでもあります。下調べを行うにしても、インターネットもなければ、飛行機や新幹線、高速道路などの交通網も発達していない当時では容易な話ではなかったでしょう。当時の不動産市場全体に、早急な決断を下さざるを得ない空気が存在したと言えます。

購入者を欺く悪質な手口

また、仮に物件の下見を行っていたとしても、被害を防げたかは疑わしい事例もあります。原野商法の販売では、物件の見学者を欺くために、売却する土地とは別の場所に案内する手口もありました。

私の住む千葉県にも、かつて原野商法で販売されたと思われる分譲地(の形跡)はいくつかあります。私の昔の知人にも、実際に千葉県内でこの手の分譲地を買ってしまった方がいます。

知人は購入前に下見を希望して、千葉県匝瑳市にある問題の物件まで実際に足を運びました。畑として使われていた「売地」と、境界の杭を確認したうえで購入したそうです。ところが、登記簿の記載を基に所在地を特定して私が現地を訪問してみたところ、その土地は、傾斜地の山林でした。どう見ても、畑として利用されていた形跡があったとは思えません。古い航空写真を確認しても、分譲当時からずっと山林のままでした。

千葉県北東部で販売された原野商法の分譲地の航空地番図。一見すると単なる雑木林だが、土地は分譲地のように細かく分筆され、所有者もバラバラである

私の知人も、販売者に騙されて別の土地を見せられていた可能性が極めて高いのです。これでは、初めから販売者を疑ってかからない限り、被害を予防することは難しかったはずです。

原野商法というものは、当時の過熱する土地投機ブームに紛れ込む形で、静かに被害を拡大させていきました。原野商法の土地は、今となっては一般の分譲地などとは比較するべくもない、一切の資産価値もないものです。今では、不動産は立地によっては資産どころか負債にもなりかねない代物であるという認識が広がっています。しかし、当時はおそらく販売者側もこのような認識を持ち合わせていなかったでしょう。購入者の不見識を責めるのはあまりに酷な話だと個人的には思います。

重要な点は、原野商法を含め不動産売買に絡む不正行為の多くが、表向きは通常の不動産取引を装って行われるという事です。強盗や恐喝のような、明白な暴力行為を伴って行われる犯罪とは異なります。それが不審な取引であるか否かの見極めは当事者自らが行わなくてはならないものです。

悪質な業者は手を替え、品を替え、不動産売買に絡むトラブルは今も絶えることはありません。単純な自己使用を目的とした購入者よりも、不動産投資を目的とした購入者(投資家)が被害に遭うケースが目立ちます。原野商法がもたらした広範な被害は、不動産投資における楽観的過ぎる見通しや調査不足の危険性を、今に伝える反面教師でもあります。

(吉川祐介)